住宅の特徴、構造形式「折曲り寄棟造」
現在の太田家住宅は、安政3 年(1856 年)頃に博多大工によって建てられたと伝わり、150 年以上経過しています。
人吉藩では家作り規制が厳しく、領内に鉤型の民家が多いのは、こうした制限下で住宅の部屋数と規模を拡大するために、鉤型に棟を伸ばす方法がとられたからです。
太田家住宅は梁行き寸法が三間(約6 メートル)よりわずかに短く、最大限の広さを確保する工夫をしています。
茅葺屋根を二か所で折り曲げた 型の特徴的な外観をしていて「二鉤」と呼ばれています。
「ざしき」「あらけ」(次の間)といった客間部分と「だいどころ」「どうじ」(土間)といった生活・生業部分の棟を平行に置き、前後にずらして「なんど」(寝所)部分で両棟をつないだ形で、鉤屋型民家が最も発展した型とされています。
こうした構造が採用されたのは、焼酎を製造するための作業場となる「どうじ」を広く確保するための工夫とみられます。
太田さんが昭和50 年代までは住んでおられた家ですが、現在の建物は平成21 年に修理されています。