江戸時代まで吉祥院というお寺のお堂でした。堂内には木造弘法大師坐像があり、厨子及須弥壇は天正9年(1581)、賀吽と行俊が造立しました。明治時代に吉祥院は多良木町久米に勘代寺として再建され、御大師堂境内には多くの古塔碑が残されています。
県指定重要文化財「木造弘法大師坐像」
檜材の寄木造、玉眼で右手に五鈷をとり、左手に念珠を持つ像です。頭内墨書により、応永7年(1400)、太宰府の山井弘成氏を願主として仏師祐全によって造立されたことがわかります。
※五鈷杵(ごこしょ)
弘法大師が右手にお持ちの法具で魔を払い、身を守る密教を代表する法具です。