的場士休(自休) まとば しきゅう(じきゅう)
的場士休は、八代生まれの武将で、はじめ市十郎、また彌三郎といい、のちに士休(自休)と名乗っていまし た。相良家の20代当主(町によると)、長毎(頼房)に仕え、多くの戦で勲功を挙げ、殿様から感謝状を頂いた と書いてあります。天正12年には島津義久を将とし、相良氏と共に龍造時隆信討伐のために派兵。相良家 の資料にもその戦功や硬派な人物像が記されています。地元では、下鶴・落鶴(しもづる・おとしづる、下城 の球磨川沿い付近)を開田したともつたえられていて、崇敬されています。