~秋分、新聞、歴史館から静けさを感じて~
『騒がしい』。肥後藩校の時習館二代校長、藪孤山先生の「静」の書を眺めることが多くなった。
秋分の日、鵜ノ口観音の赤飯、宮原観音のおはぎ、普門寺観音の煮しめ、おもてなしの相良三十三観音と古寺の城泉寺、青蓮寺をめぐり、山里の静けさを満喫した。感動し続けた2日間だった。
4日は中秋の名月、庭に収穫した栗、芋、柿を一升枡の中に入れ、高坏に団子をのせ一升びんにすすきと彼岸花を生けお月さんにお供えした。その横に茶台を出し、お気に入りの茶碗でお茶を点てた。「うさぎさんの餅つきは終わったかな」など想像しながら2時間ほど横になり月を眺めた。虫の音、キンモクセイの清々しい香り、爽やかな風が漂い明月に包み込まれた。
すると熊日新聞の【きょうも隣に山頭火】に連載されている、『つかれた足へ蜻蛉(とんぼ)がとまった』、『みんな寝てしまつてよい月夜かな』、『酔うてこほろぎと寝ていたよ』、『秋の空高く巡査に叱られた』、『まつすぐな道でさみしい』、『お経を上げてお米をもらうて百舌鳥ないて』、『まつたく雲がない笠をぬぎ』など自然との一体化を表した山頭火の俳句が思い浮んだ。静かな時を感じた。
また、後日の紙面に99歳の日本画家、堀文子さんが『描きたいものは何か。それはモチーフに出合った時の感動。自己主張や自己表現ではない絵を描きたい。気に入った植物や美しいと思う風景があれば、ただそれに近づくためにだけに絵を描きたい』と作品への心を語られていた。
昨日は「『自然が奏でる子守唄の里』、ヒストリアテラスは歴史・民俗を子どもから大人まで五感で触れることのできる村のシンボル施設」と紹介された五木村歴史文化交流館を訪問し、山村の生業で使用した道具、伝統行事を紹介した写真を見ながら、山、川、木と共に静かに生活された姿が透けて見えてきた。『騒がしい』と感じることが多くなったこの頃、静かに自然と一体化できた秋分、新聞、歴史館だった。