~記事を読み、気づいた心の触れ合い~
9月11日の放課後、「なぜ本社を志望されましたか。」「高校生活はどうでしたか。」「校訓、校歌の平和・勤労・進取を説明してください。」など、生徒との面接学習を終え、部屋の椅子に座った。いよいよ15日から就職試験が始まる。受け答えの上手さだけでなく、優しく思う深みも感じ取って欲しいと願ったりした。
ほっと一息。校庭の隅に咲く彼岸花を眺め、穏やかな風と静かさを感じる秋の相良三十三観音巡りを思いながら、机の横の切り抜きしていた9月4日朝刊、『障害者雇用私の視点』の記事を手にした。その記事には、盲ろうの東大教授福島智さんが「私は目も見えず耳も聞こえないため、介助者なしでは歩くこともコミュニケーションもできない。そんな人間が大学で教員になっている。企業の中には、視覚障害のマッサージ師が常駐し社員が利用できる仕組みを設けているケースがある。雇用を進めるにはこうした手法も一案だ。障害者の労働生産性は低いかもしれないが、一緒に働くことの意味は効率性の視点だけで考えるべきではない。障害があってもできることをやろうとする姿からは、仕事のつらさや悩みを抱える誰もが、理屈抜きに学ぶことがあると思う」と述べられていた。数回読み返すと、9月9日の県立体育館での「傘」、「雑巾」を通した心の触れ合いが思い浮かんだ。
「9月9日は、大会に出場するため県立総合体育館に向け、朝早く車で錦町を出発した。その日は小雨で、車いすバスケットボール大会も開かれていて、駐車場には数名の方が待機され、車から降りる選手の横へ傘を差しながら立たれ、体育館入口まで案内されていた。入口には6名の方が雑巾を持って雨で濡れた車いすを丁寧に拭きながら、笑顔で話されていた。ついスタッフの方に『案内され、雑巾で拭かれるなどすばらしいですね。』と挨拶すると、『いいえ、フロアーが濡れるとみなさんに迷惑をかけますからね。』と満面な笑顔で答えられた。」