伊勢皇大神宮(あさぎり町岡原北伊勢本)
天和二年(1682)に東林寺(人吉市)の天端和尚が勢松庵のために伊勢神宮と勸請し護神塚の碑を建て当地の繁栄を祈願して建てた神社です。
護神塚
貞享二年(1685)再興等の事績があり、延宝八年(1680)人吉の東林寺の開山に続いて、精力的に郡内の社寺の開基、再興にあたったことがわかります。この頃の伊勢本は赤川(あかごう)村と言って、かつて久米氏の本拠であった久米郷奥野村の圏内にあり、現在の古多良木地区も赤川村に含まれていました。
弁天堂
天和二年(1682)に東林寺(人吉市)の天端和尚が勢松庵のために伊勢神宮と勸請し護神塚の碑を建て当地の繁栄を祈願して建てた神社です。
護神塚
貞享二年(1685)再興等の事績があり、延宝八年(1680)人吉の東林寺の開山に続いて、精力的に郡内の社寺の開基、再興にあたったことがわかります。この頃の伊勢本は赤川(あかごう)村と言って、かつて久米氏の本拠であった久米郷奥野村の圏内にあり、現在の古多良木地区も赤川村に含まれていました。
弁天堂