~もどかしさと友人の話しと新聞記事~
8日、木綿葉フェスタの午後から催された、全生徒、職員で“いつまでも”思い出してる グランドに咲いた花 どこまでも延びる 緑と山の陰 忘れたくない 涙でもう何も見えない もどかしい 何もできない だから伝えたいそれでも 変わらない ふるさとの広い空を どんなに離れていても いつも想ってますの合唱だった。合唱を聴きながら、区切られた中に文字を入れる入力が増え、考えて手で書く量が減り、言葉を深く噛みしめる時間が削除され、言葉が伝わりにくくなった現実と重なり、もどかしいの歌詞がとても心に響いた。また温かく優しい「平和」の気持ちを大切に欲しいと願ったりもした。そんな時、訪ねてきた親しい友人との会話で、「管内に就職した高校生の全体が、コミュニケーションが取れない、仕事が上手く進まないことなどが理由で、ほぼ半数が3年間で離職している現状を聞かされ、就職より離職しない観点から学校生活の在り方を一考してみる事も必要ではないか」と話があった。その日は離職の話しが気にかかり、自宅で切り抜いていた12月4日の取材前線記事、「強さの理由」を取り出した。そして、「引退後も稽古に励む九州学院剣道部3年生からは『常に【なぜ】を考えていた』『理解する力がついた』という言葉が返ってきた。現主将の米田好太選手は、きちんとあいさつしたり、トイレのスリッパをきれいに並べたりする先輩の姿を挙げ、『人間性に憧れる』と明かす。また、監督は『疑問を抱かないと成長しない』」と書かれた内容を読み返した。そうか練習を通じて、なぜと考え、疑問を抱きながら、課題を発見し解決して行く過程で、知る、考える、伝える、行動することできちんとしたコミュニケーション力が生まれてくるのかと思った。もどかしさと友人の話しと新聞記事が結び付き、コミュニケーション力を育てるには鍛錬の言葉を身近に置くことの大切さに気づいた。裾野が広がった一日だった。