水神社内神像等11種(通称 ごしんさん、茂間ヶ崎神社)
1582年、湯山城主、湯山佐渡守宗昌(ゆやまさどのかみむねまさ)が、その弟で普門寺住職の盛誉法印(せいよほういん)と反逆を企てているとの密告があり、相良藩主19代忠房公の命で誅伐の兵が向けられました。しかし反逆心が無いことを知り、早々急使を向わせましたが、急使の犬童球介があさぎり町免田東築地で焼酎を飲まされ(企て)寝てしまい、目が覚めたときは万事休す。普門寺には火の手が上がり盛誉法印と弟子二人共に黒木千衛門に討ち果たされてしまいました。盛誉法印の母、玖月善女(くげつぜんにょ)は千衛門はじめ相良藩に祟るように愛猫「玉垂」に言い含め、猫を抱いて茂間ヶ崎渕に入水しました。
水神社は、相良新四国八十八カ所霊場第二十六番札所となっています。社地は四畝歩、社殿七坪五号、天正10年以前の草創です。玖月善女の霊を弔い、影仏として木造坐像・掛仏等も祀られています。
木造玖月善女座像