鮎の瀬溝取り入れ口の傍らにあった石碑が、昭和50年(1975)3月に、球磨川の河川改修によって現在の場所に移転されました。石碑の総高は91cm、上部幅27cmで「永仁3年(1295)5月、鮎の瀬井手碑 領主相良頼宗建」と銘文にあります。溝は大宮神社前まで掘られていて、上相良3代頼宗の代になって掘られた灌漑用水路と推測されます。
碑の近くには、当時堰として使われていた石も移設されています。
鮎の瀬溝取り入れ口の傍らにあった石碑が、昭和50年(1975)3月に、球磨川の河川改修によって現在の場所に移転されました。石碑の総高は91cm、上部幅27cmで「永仁3年(1295)5月、鮎の瀬井手碑 領主相良頼宗建」と銘文にあります。溝は大宮神社前まで掘られていて、上相良3代頼宗の代になって掘られた灌漑用水路と推測されます。
碑の近くには、当時堰として使われていた石も移設されています。