下町橋(したまちばし) 別称=ごんげんばし
都川に架かる全長17mのアーチ橋で「下城」と「古町」にまたがることからこの名前になっています。
明治39年(1906)木橋から石橋に架け替えられ、通潤橋(つうじゅんきょう)や霊台橋(れいたいきょう)などを手がけた八代の種山石工の流れをくむ石工達が造ったといわれています。周囲の自然環境と調和がとれていて、季節ごとに美しい姿を見せています。また、町出身の諷刺漫画家、那須良輔氏もこの近くで育ちました。
都川に架かる全長17mのアーチ橋で「下城」と「古町」にまたがることからこの名前になっています。
明治39年(1906)木橋から石橋に架け替えられ、通潤橋(つうじゅんきょう)や霊台橋(れいたいきょう)などを手がけた八代の種山石工の流れをくむ石工達が造ったといわれています。周囲の自然環境と調和がとれていて、季節ごとに美しい姿を見せています。また、町出身の諷刺漫画家、那須良輔氏もこの近くで育ちました。