黒肥地の東側台地上には旧石器時代から中世の遺跡が20数か所あります。その西側の槍掛松遺跡では弥生時代の細型銅剣や石剣、磨いた石の矢じりなどが出土し、大きな村があったことがわかります。また東側の大久保公民館近くでは「地下式板石積石室墓」という古墳時代前半の南九州にしかない特殊な墓があります。古墳時代後半になると、夫婦塚古墳や獺野原横穴群が築かれるようになります。1559年(永禄2)の球磨郡を二分した「獺野原合戦」では、人吉勢と湯前勢の決戦場となり、多くの戦死者がでました。大久保の阿弥陀堂はその十三回忌となる元亀3年に供養のために建てられた御堂です。
その宝(方)形造の阿弥陀堂に安置された阿弥陀三尊は3躯ともに室町時代の作です。
本尊は榧の一木造で、像高60cm、台座高32cm、蓮華座21cm、輪光径34cm。久米治頼神社の男女神像を彫刻した常州の賀吽坊の作と思われます。