猿田彦大神は、古事記などに天孫を案内した神として登場しますが、ここでは庚申信仰を神道式によっておこなった記念碑として建立された猿田彦大神と考えられます。刻銘によると、当時の永岡村と濱後村(浜川村)の人たちが地区の安寧を祈って、宝永6年(1709)に建立したものです。この碑は、現在のところ球磨地方で一番古い猿田彦碑であり、近くの大王神社に付随して建立されたものと思われます。石碑の猿の文字が手偏になっています。
猿田彦大神は、古事記などに天孫を案内した神として登場しますが、ここでは庚申信仰を神道式によっておこなった記念碑として建立された猿田彦大神と考えられます。刻銘によると、当時の永岡村と濱後村(浜川村)の人たちが地区の安寧を祈って、宝永6年(1709)に建立したものです。この碑は、現在のところ球磨地方で一番古い猿田彦碑であり、近くの大王神社に付随して建立されたものと思われます。石碑の猿の文字が手偏になっています。