八代の友人から、「築百年経った古民家の梁、山桜はいらんね」と電話があり、「いるばい、欲しい」と即答した。。この古木を一目見て、家族の暮らしを物語る色合いのすばらしいさに感動した。申し訳ない気がするが、自宅玄関に使いたいと思っている。
先日、歓迎会が人吉の芳野旅館で行われた。この日もいつものように、床や天井に使われている材質や木目など、木の美しさの発見に興味深く見入った。今回、あらためて渋く落ち着いた床板、あめ色に練られた山桜の天井板に文化の流れを強く感じた。なんと、芳野の歴史の中に、明治42年、材木商を相手に創業したと書かれてあった。
数日後、4月7日熊日朝刊の「戦争、木材業・・振り返る。南関町の大石さん自伝を自費出版」の記事に目を留めた。記事を切り抜き、大石さんへ電話した。2日後、「謹呈」と書かれ本が届いた。「木は水分が60%」、「丸鋸1台で枯れ松の賃挽していた開業当時の様子」、「電気工事のため、電線や碍子をリヤカーで運んだ理由」など木に魅せられ始められた製材業の歴史を知ることができた。友人の電話から始まり、新聞記事へとつながり、新たな木の魅力の発見に結びついた。今日も、「淡紫色境内彩る。『山田の藤』(玉名市)」の記事を見て、「藤色かけ流し」の一勝地焼きを思い浮かべた。興味津々。