~ウェブの理解と新聞から知識を得る習慣 ~
日曜日の朝、タブレットで3月に行く仙台までの旅行チケットの予約を行うため、【鹿児島空港】を検索した。するとサイトが開き、公式サイトや各種の格安サイトが表示され、格安に惹かれこのサイトを開き、つい予約してしまった。すると決済画面に移り、請求額が表示され手数料が加算されていた。格安にはならないのではと後悔してしまった。これがSNSの最後のS、ネットサービスなのかと理解した。確かに便利になった。ここ最近、思考力の継続低下の要因を探すため、情報関連の記事や『知の進化論』、『ウェブ進化論』に関する本を読み続けていたところだった。
そうすると、「グーグルのデータベースには、5億件の人物、場所、物事の情報が蓄積され、35億件の属性や定義情報が納められていると言われている。また、このように巨大なデータベースを活用した、『あなたが知りたいことは、これでしょう』、『あなたが欲しいものは、これでしょう』というようにユーザーが望んでいると考える情報を提供してくれる「レコメンデーション」サービスや購買履歴が似ているユーザーを探し出し、片方が購入している商品をもう一方のユーザーに進める仕組みで新規需要を開拓する「強調フィルタエイング」へと進んでいる」などと理解できた。
確かに、検索機能の進化により、行動を決定したり、選択したりするための情報を探す手間は必要なくなった。しかし一方では、情報が操作され、主体的に判断する能力をだんだん失う、知の退化が起こる危険もある。従来、知識を習得することは、「『何かを実現するために必要な手段』とともに、『知識を持つことそれ自体に意味があり、体験の意味と価値が増え生活が豊かになる。』」と言える。ウェブの理解と、紙の情報メディアである新聞や本に潜む「記憶のフック」から知識を習得する習慣化の大切さを痛感した、検索予約の朝だった。また、横にある齋藤孝さんの本、「新聞力」を手にした。