9月の中旬、久米島のノニジュースを土産に熊本市内から友人が来校してきた。現在、10年後の久米島プロジェクトに取り組んでいる。桃太郎のお供の雉のように、先を読み提案する役割に専念しているが、会が停滞しているので何かヒントを捜しに遊びに来たとのことだった。
2日間、自転車で中・上球磨の24札所を回り、煮しめ、おはぎ、山菜おこわ、大豆、みそ漬けなど地域のおもてなしを味わい、祈って、自分と向き合う静かな時間を過ごすことができた“相良三十三観音めぐり”の話をした。お母さんと会い、地域の共同行動が「決まり事だから」から「風通しの良いコミュニケーション、納得」へ変換をする時代を迎えたと感じた出来事も話してみた。
また、参考までに、二年生のコラム学習に活用した、【デスク日記】-「初年兵哀歌」の問い掛けの-いつも「大げさなのは嫌いなんです」。「軍隊でいちばん耐えられなかったのは、機械の歯車になれと要求されることでした」。兵士として全体主義の成れの果てを見た版画家・彫刻家浜田知明さんは、戦後も人と群れることなく、作品で自らの思いを語ってきた。
自分の目で見て、感じ、考え、意思表示する。それは「人間」として生きるということでもある」。記事を紹介した。決まり事から、話し合いで意見をまとめ合う決定が必要なのか。さまざまな考え、立場があり対立では先に進まないのか。「雉は記事を多く読む努力が必要であるか」と友人、大学の先生は大笑いした。