肥後宗像家文書
世界遺産・宗像大社(福岡県宗像市)の大宮司宗像家の子孫とされる多良木町の旧家に残された「肥後宗像家文書」を紹介します。肥後宗像家の文書は142点の中・近世の資料群。多良木町の調査で豊臣秀吉発給の文書2通が見つかり、宗像定氏を最後に途絶えたとされる大宮司宗像家の血筋が熊本で存在していたことが明らかになりました。秀吉文書はいずれも「宗像才鶴」という人物に宛てられたもので、1通は九州平定に乗り出した秀吉が天正14(1586)年10月、島津家の九州北上を才鶴が阻止したことを称賛した文書で、秀吉の花押もあります。もう1通の朱印状は、秀吉の軍法などについて浅野長政から指南を仰ぐように指示しています。才鶴が亡くなった氏貞の後継者であることも文書から明らかになりました。